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彦根の歴史

縄文弥生

彦根山は太古以来、活津彦根命(いきつひこねのみこと)が鎮座した地であって、地名はこれによるといわれる。 縄文式土器が矢倉川などから、弥生式土器が西今町などから、耳環・須恵器などが、磯山・東山・荒神山などの古墳からでている。

 

1449(宝徳元)

高宮布が京都で進物に用いられた記録がある。 宝暦年間(1751~1763)がいちばん生産量が多かったようで、明治維新までかなり生産されていました。この布を扱って成功した商人には高宮の堤惣平や、豊郷の伊藤忠兵衛がいます。
彦根仏壇も高宮布とともに彦根の代表的な産物です。細工が丁寧なのと、長く持つわりに値段が安いのが好評でした。

 

1590(永禄18)

石田三成が佐和山城主となる。

佐和山より市内を一望

佐和山より市内を一望

 

1600(慶長5)

関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、佐和山城がおちる。
佐和山城主石田三成が処刑された。

 

1600(慶長5)

井伊直政が佐和山城へ入り、城主となる。

 

1603(慶長8)

彦根山に築城をはじめる。

 

1604(慶長9)

宿駅制度がととのい、中山道に高宮・鳥居本の宿場ができる。

 

1615(慶長20)

井伊直孝が彦根藩主となる。

 

1622(元和8)

彦根城と城下町がほぼできあがる。

 

1658(万治元)

このころ神教丸を売り始めた記録がある。
多賀大社の神の教えによってできた薬だといわれています。

 

1829(文政12)

絹屋半兵衛が湖東焼きをはじめる。 城下で製作された陶器のことで、彦根焼とか沢山焼ともいったようです。
幕末には藩主の御庭焼として栄えていました。

 

1850(嘉永3)

井伊直弼が藩主となる。

 

1869(明治2)

版籍奉還が許され、彦根藩がなくなり新しく彦根県ができた。

 

1871(明治4)

彦根県を廃し、長浜県を設置。

 

1872(明治5)

長浜県を犬上県と改称。その後、すぐに大津県と合併して、滋賀県となる。

 

1889(明治22)

市制・町村制が施行され、彦根町その他各村が発足した。 東海道線が全線開通し、彦根駅が設置され、駅前道路が整備された。

 

1896(明治29)

豪雨が続き、芹川が満水に。未曽有の水害を受けた。

 

1917(大正6)

近江絹綿株式会社(オーミケンシの前身)が創立した。
1920(大正9)には、近江絹糸紡績株式会社となり、その後、東洋繊維・住友セメント・新内外綿・神戸電機・松下電工・大日本スクリーン・トーヨーヤーン・新日本電気などの工場が続々とできました。

 

1920(大正9)

佐和山トンネル開通。

佐和山トンネル

佐和山トンネル

 

1927(昭和2)

旧彦根港湾の竣工式が行なわれた。

 

1928(昭和3)

彦根町役場の落成式が行なわれた。

 

1935(昭和10)

昭和セメント彦根工場(住友セメントの前身)が操業した。
昭和新道の道路拡張と池洲橋の竣工式が行なわれた。

 

1937(昭和12)

彦根町・松原・青波・福満・千本・北青柳各村が合併し、彦根市制が布かれた。

 

1944(昭和19)

松原内湖・曽根沼の干拓がはじまった。

曽根沼干拓地

曽根沼干拓地

 

1959(昭和34)

上水道建設事業を開始、翌年より給水を開始。

 

1964(昭和39)

市民会館が完成した。

市民会館

市民会館

 

1967(昭和42)

ブリヂストンタイヤ彦根工場が完成した。

ブリヂストンタイヤ彦根工場

ブリヂストンタイヤ彦根工場

 

1968(昭和43)

市庁舎が旧印刷局彦根工場跡へ移転した。

 

1970(昭和45)

彦根駅付近土地区画整理事業に着手。

JR彦根駅

JR彦根駅

 

1974(昭和49)

皇太子、同妃殿下ご来彦。

 

1975(昭和50)

天皇・皇后両陛下ご来彦。

 

1988(昭和63)

彦根市総合発展計画彦根ルート2001計画策定。

 

1996(平成8)

国宝彦根城天守等、保存修理工事完成。

彦根城天守閣

彦根城天守閣

 

2002(平成14)

新彦根市立病院開院。

新彦根市立病院

新彦根市立病院